矯正 日野は我々の永遠のテーマです

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言い換えれば、社会全体が基準がない。
企業は、利益をあげるために、なるべくコストを押さえる努力をする。 しかし、政府の行う公共事業には利益の概念がない。
役人の仕事は、なるべく多くの予算を獲得し、それを使い切ることである。 作った道路や橋が役に立つか立たないかは問題にされない。
というより、それを計るところが、政府の行う公共事業は、そうではない。 公共事業は、「政府が建設サービスを買う」ことである。
どういう建設サービスをいくらで買うかは、政府の担当者が決める。 具体的に言えば、政治家と国土交通省の役人が決める。
政治家や国土交通省の役人は、建設サービスの生み出す効用を求めてカネを払うのではない。 経済活動は食べ物、利益は健康にたとえられる。
何をどれくらい食べればいいか、一般的には決まらない。 状況によって変わる。

成長期はたくさん食べなければならないが、そのペースで食べ続ければ肥満になる。 病気で弱っているときは、消化のいいものを食べなければならないし、仕事で走り回ったら普段よりたくさん食べなければならない。
企業は、利益があがっているかどうかという基準で、自分の活動をチェックできる。 経済環境の変化に応じて、食べ物の種類や量を変化させられるのである。
しかし、政府機関の経済活動にはそういう基準がない。 高度成長時代の日本は非常に多くの道路や橋の建設を必要としたかもしれないが、もう、必要としていない。
これ以上公共事業を続け道路や橋をどれくらい必要としているか、わからない。 高度成長期までの日本は道路や橋が社会全体に不足していたから、公共事業に意味があった。
今では、おそらく道路や橋は多過ぎる。 しかし、それをはっきりと数字で示すことは難しい。

利益の概念がないからである。 企業であれば、利益があがらなくなった段階で、社会に貢献できなくなったことを悟る。
そこで自らを改革して健康を取り戻せない限り、倒産して、消滅する。 だから、自由な市場で企業が行う経済活動にはムダが生まれにくいのである。
喫茶室に電話すれば、少しだけマシなコーヒーを持ってきてくれる。 しかし、1杯250円も取られるし、朝食の注文が集中する時間帯は待たされる。
断然おいしいならば、払って待つ価値もあるが、そういうわけでもない。 それで、ものすごくまずいのを我慢して、ダダのコーヒーをがぶ飲みしながら、9時の取引開始に備える。
グローバルな金融市場は、日本が夜の間も休みなく変化している。

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